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2009年7月12日 (日)

朝露 串田孫一

夜に

雨が降ったというのでもないのに

露が私をしきりに濡した

朝の道だった

草深く道をうめ

森のへりの

どこまでも東へと続く

夜明けの道だった

麝香のかおりの

涼しく漂う道だった

朝の光は

どこよりも先に

この道を訪れた

するとそこを行く私の

自由を失った心が

楽の音を高めようとする

露は

思い思いの色に光る

そして消える

(詩集 いろいろの天使 より)

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コメント

最近の投稿はすてきな詩人さんですね(・∀・)イイ!

さて、みなさんに質問です。教えて下さいm(_ _)m

Q:ごく当たり前に暮らす。。とは?

投稿: 川久保 | 2009年7月17日 (金) 23時09分

意識と無意識の生活の中で(ごく当たり前に暮らす)比較してみると意識のところに位置づけられないでしょうか?命題が与えられている場合。無意識の中で存在するところに(ごく当たり前に暮らす)を照射してみると命題が与えられていない事になるでしょう。水が高い所から低い所に流れて行く事と対応して行くと思うのですが?

投稿: | 2010年10月 4日 (月) 19時23分

けれども ヘルマン・ヘッセ
高橋健二 訳
(ヘッセ詩集)

けれとも私は青春の刻々を
残りなく味わった。私は嘆くべきだろうか,
私のいたわられた胸が,傷と
にがさと悲しみとのみを抱いたことを?

青春がもう一度もどって来て,
在りし日のうるわしいおもかげをそなえていたら====
あの青春が違った終わり方をしたら,
私は満足するだろうか。
Dennoch

投稿: Aビ | 2014年1月24日 (金) 21時39分

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